メガネとイジメの因果関係その2
イジメの原因とメガネ
前回、「メガネとイジメの因果関係」で初めてメガネをかけたこーぺーとイジメ……と言う程ではないけれど、からかわれたことについて軽く書きました。
イジメの原因として「自分と違うものを排除する」という要素が多分にあるとすると、やっぱりメガネをかけていると「自分と違う」認定がされやすいんでしょう。
また、こーぺーの場合はそれにプラスして「転校生」も復活しました。1年以上前のことでも簡単にほじくり返されるんだとちょっと驚きました。
イジメられやすいとは?
でも、メガネをしていてもしていなくても、イジメられる子っていますよね。イジメられやすい子は、どこか他人より劣っている部分があったり、鼻につく部分があったりするように思います。
子どもに限らずですが、人は他人と自分とを比較し、その比較で自己を確立していきます。
幼稚園や保育園では、まだ自分のことだけで精一杯です。出来る子、出来ない子の差はもちろんしっかりついてはいるものの、そんなに本人は気にしていません。まだ自分のことしか見えていなく、また想像と現実の境目がしっかりしていないので、他人の経験が自分の経験になっていたりと混乱もよくあります。
でも小学校に入る頃になると、自己は大分確立し、集団の中での自分の位置や立場を模索する時期に入ります。学期ごとに判定される成績表やテストで脳の習熟度、体育として身体の発達度をチェックされ、授業中の発言や休み時間の発言などでリーダーシップなどを比較されます。
誰でも、自分は他人より劣っているとは感じたくないもの。外見、頭、運動能力などから、少しでも自分が勝てるものはないかと躍起になって探します。それが自分の存在意義にも直結しやすいからでしょうか。
そんな中で“メガネをかける”ことは、視力的&外見的に「他人より劣る」ことを明確にしてしまうこと。
外見的な面としては、年齢が上がっていくと劣勢が優勢に逆転する場合もあります。いわゆる“メガネ男子”ですね。メガネによって知的に見えたり、カッコ良く見えたりする場合があります。
イジメの理想と現実
「人の弱点や欠点を指摘してあげつらうのは卑怯」だと、小学校や中学校の道徳では習いますよね。
でも、ケンカとなった際には、子どもは(いえ、多くの大人も)容赦なくそこを突っ込みます。「デブ」「ブス」「ノロマ」「グズ」「バカ」などなど。
実際に言葉に出して糾弾すると、親や先生に怒られて問題が大きくなってしまうので、表向きには出さなくなります。でも、心の中では自分と相手を比べ、自分より劣っている人間がいるとホッとするのです。
イジメが世の中から無くなることはないと私は思います。そして、基本的には誰もが、いじめる立場、いじめられる立場の両方を体験するでしょう。違うのは、その頻度とやり過ごし方。
一時的にいじめられても、うまくやり過ごし、いじめても面白くない人間として認定されれば、その後は強く逞しくなります。大人の世界でもイジメや無視などは普通にあることなので、それにも対応出来るようになるでしょう。
でも、その一時的なイジメへの対応がうまくいかず、イジメがエスカレートしてしまうこともありますよね。そうなりがちな子、例えば大人しい子などの場合には、いじめられる頻度を減らす努力をした方がいいと思います。
いじめられる頻度を減らすには、人より劣る部分が目立たないようにする人と違ったことをしないなど、自分を人に合わせて個性を無くして目立たなくさせることなどが出来ます。本来、そんな生き方は不自由でいいことではないのですが、イジメのせいで自殺したり盗みを働いたりするよりはいいですよね。
で、話をメガネに戻します。メガネをしていると、どうしても大人しいイメージや勉強ばっかり、いじめられっこのイメージがつきまといます。外見的にも小学生に取ってはあまりカッコイイものでもないでしょう。つまり、いじめられる原因に簡単になる。
でもなるべくなら、“いじめられるキャラ”ではない方がいいと思ってしまうのは、親としては当然の希望ですよね?(私だけ?)
じゃあ、どうすればいいの?
- メガネをかけないで済むようにする
- 言われても逆に言い返せるものを自分の中に持つ
以上の二つが対策になってきます。
「メガネとイジメ対策」に続きます。